持続可能な農業って・・・
私が100年先も日本で酪農が続いていくために取り組みをしていく中で、
牛乳が常に必要とされることや、酪農を知ってもらう事を話すことは多いです。
これは、対外的に話をする中で、酪農を知らない人にも非常に伝えやすいですからね。
ただ、酪農家として本当に重要なのは、酪農を続けていく事そのものなんです。
これは、酪農の技術を持たないと実現しない、酪農家にしかできない事だから。
100年先も酪農を続けるために、酪農の持続性に私は目を向けます。
これは、酪農業(酪農経営)の持続性とはまた違う視点です。
儲かれば何でもいいわけでは無い。
生きても精々この先60年の生涯を酪農で生活できていればいいわけでは無い。
酪農が同じこの土地で、継続的に1000年続くために、何をすべきかを考え実行する。
そこに、経営的な側面を併せて考え生きていく。
それこそが、酪農家として日本で生きていく事を許可され、
周囲から期待されている私の仕事の一つだと思っています。
より身近に得られる飼料はないか。
より多く生産し、なおかつ、今以上に土地を豊かにする手段はないか。
より石油を使わない方法はないか。
より薬に頼らない方法はないか。
農業とは土地からの搾取であってはならないし、
農業とは環境へ不要な負荷であってはならないと思います。
続くマイナスは、プラスにならない。
許容という概念がある限り、いずれは破裂する。
自然を利用する仕事である以上、見て見ぬふりは出来ても切り離せない。
次の代、その次の酪農を行う世代へ借金を膨らませて渡すわけにはいかない。
今、この時点から、見て見ぬふりをしてしまっている業界の垢を、
この牧場から、一つでも多く、本当の意味で合理的な形へ正していく。
それを続けていく。
人間の都合で牛が飼えなくなるという要因を、一つだけでも、一つでも多く取り除く。
人と牛がずっと一緒に居られるように。
家畜としての運命を数千年も前から背負わせてしまった人間の責任として、
今、この時代の酪農に関わる私が、未来もずっと牛に対する責任を果たしていけるように。
HAPPY DAIRY COWS
牛の幸せは私たちが握っている。
表面を取り繕うのではなく、その本質へ。
牛の幸せを今日も考えます。
牛乳が常に必要とされることや、酪農を知ってもらう事を話すことは多いです。
これは、対外的に話をする中で、酪農を知らない人にも非常に伝えやすいですからね。
ただ、酪農家として本当に重要なのは、酪農を続けていく事そのものなんです。
これは、酪農の技術を持たないと実現しない、酪農家にしかできない事だから。
100年先も酪農を続けるために、酪農の持続性に私は目を向けます。
これは、酪農業(酪農経営)の持続性とはまた違う視点です。
儲かれば何でもいいわけでは無い。
生きても精々この先60年の生涯を酪農で生活できていればいいわけでは無い。
酪農が同じこの土地で、継続的に1000年続くために、何をすべきかを考え実行する。
そこに、経営的な側面を併せて考え生きていく。
それこそが、酪農家として日本で生きていく事を許可され、
周囲から期待されている私の仕事の一つだと思っています。
より身近に得られる飼料はないか。
より多く生産し、なおかつ、今以上に土地を豊かにする手段はないか。
より石油を使わない方法はないか。
より薬に頼らない方法はないか。
農業とは土地からの搾取であってはならないし、
農業とは環境へ不要な負荷であってはならないと思います。
続くマイナスは、プラスにならない。
許容という概念がある限り、いずれは破裂する。
自然を利用する仕事である以上、見て見ぬふりは出来ても切り離せない。
次の代、その次の酪農を行う世代へ借金を膨らませて渡すわけにはいかない。
今、この時点から、見て見ぬふりをしてしまっている業界の垢を、
この牧場から、一つでも多く、本当の意味で合理的な形へ正していく。
それを続けていく。
人間の都合で牛が飼えなくなるという要因を、一つだけでも、一つでも多く取り除く。
人と牛がずっと一緒に居られるように。
家畜としての運命を数千年も前から背負わせてしまった人間の責任として、
今、この時代の酪農に関わる私が、未来もずっと牛に対する責任を果たしていけるように。
HAPPY DAIRY COWS
牛の幸せは私たちが握っている。
表面を取り繕うのではなく、その本質へ。
牛の幸せを今日も考えます。
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