私と酪農
私と酪農の接点は、祖父が酪農をやっていた事。
ただ、祖父は私が2,3歳の頃に亡くなって、その時に牛もいなくなりました。
この時の記憶は、私の中には無いんです。
私が酪農に興味を持ったのは、中学2年生の時に見たTVの映像がきっかけでした。
ニュースか何かで、ほんの一瞬、牧草地を走り回る牛を見た気がします。
この光景を見て、「こんな生活がしたいなぁ」と、ボンヤリと感じたのです。
そこから、県内の農業高校へ進学し、実際に酪農を学び、体験しました。
初めはとにかくキツくて、汚くて、臭かった。
テレビでみた映像とはかけ離れた状況を体験して、挫折しました。
それでも続いていく農業高校の生活の中で、次第に酪農の魅力を見つけた気がします。
繋ぎ飼い、畜舎内で一生を終える牛が多い現実を座学で学んでも、
学校の小さい放牧地でも、土の上に、草の上に放された放牧地で飛び跳ねる牛を見ると、
それだけで、心が温かくなるのを感じました。
体重が700kgを超える大きな身体をしていて、その気になれば人間なんてどうとでもできる。
それでも、その全てを人にゆだねてくれる。子牛も、ミルクも人にくれる。
この関係性をとても尊く感じるようになりました。
いろんな形で牛は飼われて、いろんな方法で牛乳が生産されています。
私はこの、魅力的な産業を少しでも伝えていきたいと考えています。
一つは、牛乳という食品がどうやってできるかについて。
一つは、酪農という産業がどういったものかについて。
これまで、畜産は社会の発展とともに、臭い、汚いと言われ、
畜産農家は、陰を潜め、自らの手で社会から離れて来たように思います。
でも、私はそれは違うと思います。
畜産と言う産業は、食という分野に幅広い接点を持っていて、多くの人にとって身近です。
畜産農家は、勇気を持って歩み寄り、伝えていくべきだと思っています。
私はそれを、酪農という産業で生きて行きながら、伝えたいと思っています。
それが、酪農という産業が生き残る一つの手段だと考えています。
酪農が産業として生き残るということは、
一つは、牛乳、乳製品の消費が続いていくこと。
一つは、後継者が育っていくこと。
そして、地域から理解されていること。
これらは、内に閉じこもっていては決して達成できないことだと思います。
長くなりましたが、私の夢は、2代先もそのまた先も日本で酪農が続いていくこと。
道のりはまだまだ始まったばかりですが、前へ前へまだ見ぬ未来へ向かって、
限られた自分の時間を精一杯楽しみながら今を生きていく事に必死なのです。
ただ、祖父は私が2,3歳の頃に亡くなって、その時に牛もいなくなりました。
この時の記憶は、私の中には無いんです。
私が酪農に興味を持ったのは、中学2年生の時に見たTVの映像がきっかけでした。
ニュースか何かで、ほんの一瞬、牧草地を走り回る牛を見た気がします。
この光景を見て、「こんな生活がしたいなぁ」と、ボンヤリと感じたのです。
そこから、県内の農業高校へ進学し、実際に酪農を学び、体験しました。
初めはとにかくキツくて、汚くて、臭かった。
テレビでみた映像とはかけ離れた状況を体験して、挫折しました。
それでも続いていく農業高校の生活の中で、次第に酪農の魅力を見つけた気がします。
繋ぎ飼い、畜舎内で一生を終える牛が多い現実を座学で学んでも、
学校の小さい放牧地でも、土の上に、草の上に放された放牧地で飛び跳ねる牛を見ると、
それだけで、心が温かくなるのを感じました。
体重が700kgを超える大きな身体をしていて、その気になれば人間なんてどうとでもできる。
それでも、その全てを人にゆだねてくれる。子牛も、ミルクも人にくれる。
この関係性をとても尊く感じるようになりました。
いろんな形で牛は飼われて、いろんな方法で牛乳が生産されています。
私はこの、魅力的な産業を少しでも伝えていきたいと考えています。
一つは、牛乳という食品がどうやってできるかについて。
一つは、酪農という産業がどういったものかについて。
これまで、畜産は社会の発展とともに、臭い、汚いと言われ、
畜産農家は、陰を潜め、自らの手で社会から離れて来たように思います。
でも、私はそれは違うと思います。
畜産と言う産業は、食という分野に幅広い接点を持っていて、多くの人にとって身近です。
畜産農家は、勇気を持って歩み寄り、伝えていくべきだと思っています。
私はそれを、酪農という産業で生きて行きながら、伝えたいと思っています。
それが、酪農という産業が生き残る一つの手段だと考えています。
酪農が産業として生き残るということは、
一つは、牛乳、乳製品の消費が続いていくこと。
一つは、後継者が育っていくこと。
そして、地域から理解されていること。
これらは、内に閉じこもっていては決して達成できないことだと思います。
長くなりましたが、私の夢は、2代先もそのまた先も日本で酪農が続いていくこと。
道のりはまだまだ始まったばかりですが、前へ前へまだ見ぬ未来へ向かって、
限られた自分の時間を精一杯楽しみながら今を生きていく事に必死なのです。
akira