命とお金

お金で命は買えませんが、
お金と命が天秤に乗ってしまうのが畜産です。
今年の夏は、昨年以上に命に向き合う時間が増えました。

7月の双子死産で踏ん張った母牛が、最終的に削痩していき、衰弱。
おとといの夜10時半に息を引き取りました。

3日には乾乳起立不能になっていた母牛が、最終的に、この暑さの元で
循環器障害(熱中症)で息を引き取りました。
最後は、水をかけても、風を当てても、解熱剤でも、抗生物質でも熱は下がらず、
苦しみながら夕方5時頃かすれた声で鳴きながら息を引き取りました。

肛門不形成「鎖肛」と呼ばれる奇形の子牛も生まれました。

無事分娩を終えるも、乳房に負っていた過去のダメージから、
水腫が進行し、死んでしまった牛もいました。

一方で、一ヶ月で12頭(内4頭が死産or奇形)も子牛が生まれました。

死んだから、損をした。
雄だからまぁ幸いか。
死んだけど、購入価格より生まれた子牛の販売価格と貰える共済金で結果的に得をした。

人間は、お金を使って生きていきますから、
単純に食っていけるか、いけないか。
ではなく、間にお金というモノが入ってくる。

これが、人の感情を悪い方に向けることにつながったり、
不快な思いをする人が出てしまったりにつながると思います。

でも、私たち畜産農家だって生きていくために、命の仕事をしているんです。

言い訳っぽく聞こえますが、少なくとも私が死んでもらって得をしようなんて
牛と向き合ったことはなくて、私が、私の家族が生きていくために牛をどうするかを
考えて牛の命と向き合っています。
そんな中で、最大限、生きて利を生み出してもらう為の手段をとりますが、
時には死んで利を生み出してもらう手段を考えざるをえない状況もでてくるということです。


生は死あって繋がる。


死を少しも無駄にしないように、生きているものの使命と思います。